粱恵王上 首章

この記事は約4分で読めます。

孟子

孟子がはじめて梁の恵王にお目にかかった。

梁の恵王
梁の恵王

先生には千里もある道を厭わず、はるばるとお越し下さったからには、やはり我が国に利益を与えてくださるくださろうとのお考えでしょうな。

孟子
孟子

王様は、どうしてそう利益、利益とばかり口になさるのです。大事なのは、ただ仁義だけです。もしも、王様はどうしたら自分の国に利益になるのか、太夫は太夫でどうしたら自分の家に利益になるのか、役人や庶民もまたどうしたら自分の身に利益になるのかとばかりいって、上のものも下のものも、誰もが利益を貪りとることだけしか考えなければ、国家は必ず滅亡してしまいましょう。
いったい、万乗の大国でその君を殺めるものがあれば、それは必ず千乗の領地をもらっている太夫であり、千乗の国でその君を殺めるものがあれば、それは必ず百乗の領地をもらっている大夫であります。万乗の国で千乗の領地をもらい、千乗の国で百乗の領地をもらうのは、決して少なくはない厚禄です。それなのに十分の一ぐらいでは満足せず、その君を殺めてまでも奪いとろうとするのは、仁義を無視して利益を第一に考えているからなのです。昔から仁に志すもので親をすてさったものは一人もないし、義をわきまえたもので主君をないがしろにしたものは一人もございません。だから王様、どうか、これからはただ仁義だけをおっしゃってください。どうして利益、利益とばかり口になさるのです。

講孟箚記

この書は、萩の野山獄に囚われた吉田松陰(1830‐1859)が,獄中の人々に孟子を講じた折に述べた感想や意見がもとになってできたものです。

松陰先生
松陰先生

恵王は、初めて孟子に会った時、第一に自分の国をいかにして富強にするかという問題を尋ねた。これから見て、王もまた、志ある人物であったと言わねばならない。しかるに孟子が、王のこの志をくじいたのは何ゆえであるか。

松陰先生
松陰先生

思うに、仁義は道理の上からなさねばならぬ当為の道であり、利は、それを実行した結果として期待すべき効果である。されば、道理を目標として実行すれば、効果が期待せずとも自然に至るものであり、効果ばかりを目標として実行すれば道理を失うに至ることが少なくない。その上、効果を目標として実行する時には、万事みな間に合わせ仕事となってしまって、完全に成し遂げることは少ないものである。よしんば少しばかり成し遂げることができたとしても、それを永久に守るということは保証しかねる。永久に維持することができるというよい方法を捨てて、目の前だけの手近な効果を狙うならば、その弊害は、言葉に言い表せぬほどである。それに反し、もしもよくひたすらに、かくせねばならぬという当然の道を求め、終始一貫、したりやめたりすることがなかったならば、事の成らざることを心配する必要はないのである。これこそ、諸葛孔明が言った「身を慎んで全力を尽くし、死ぬまで努力しよう。そしてその結果が成功するか失敗するか、よくゆくかよくゆかぬかの如きは、すべて天にまかせるものであって、わたくしが、今からあらかじめ考えるところではない」という意味なのである。

松陰先生
松陰先生

世間並の人情から言うならば、我々は現在、囚人の身であり、再び世に出て太陽を拝するという希望はもっていない。学問を究めあってそれが完成したとしても、何の役に立つであろうか云々。
このように考えるのが一般の考えであるが、これは、孟子のいう利の考えである。仁義という考えから見れば、そうではない。人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道、それは全て実行するのである。人として生まれながら、人の人たる道を知らず、臣として生まれながら、臣の臣たる道を知らず。子として生まれながら、子の子たる道を知らず。士として生まれながら、士の士たる道を知らぬということは、大いに恥ずかしいことである。もしこのことを恥ずかしく思う心があるならば、書物を読み、人たる道を学ぶより外に方法はないのである。そして、その努力によって、いくらかの道を知るようになったならば、それはわが心のうちに悦ばしいことである。孔子が「朝に道を聞けば。夕に死すとも可なり」といわれたのは、このことである。されば、その外に、実行の効果いかんを考えることなど、問題とするに足らぬのである。諸君がもし以上のことに志を立てるならば、初めて孟子を学ぶものと言うことができる。

松陰先生
松陰先生

いったい、近世になってより、学問教育は日々に盛んとなり、武士たるもの、書物を掖んで師を求め、学問に励まぬものはない。その風俗は美しいということができる。それに対し、わたくし共、獄に囚われているものが、何も言葉を挟むことはできない。だが、よくよく見ると、彼らが学問をする目的は、それによって名誉を得たい、官位を得たいということにすぎない。それならばその学問は、よい効果を得るということを目標とするものであって、ほとんど道理の当然を求め、これを実行しようとするものとは違っているのである。このことは深く考えねばならない問題である。ああ、世の中に学問する人物は多いが、真の学者がない理由は、学問をする初めにあたって、その志がすでに誤っているからである。精魂を傾けて政治にあたる藩主は多いのに、真の明君がない理由は、政治を執る当初において、その志がすでに誤っているからである。

JUN
JUN

いまの学校教育も進学をしてよい就職先・仕事を得ることが目的になっていますよね。
仕事を得るために勉強することも必要です。
しかし、それよりもっと学ばなければならないことは何なのか、自分自身に問うことが大切です。
あなたの志は何ですか。夢は何ですか。どんな人生にしたいですか。

Views: 29

コメント

  1. 杉山憲一 より:

    題名 思想を受け取る側の危険について
     皆様初めまして、参加者の杉山と申します。事前に頂戴しておりました管理人様の示唆に導かれ、すべて岩波文庫の「孟子」「講孟余話」「吉田松陰書簡集」を拝読させていただきました。孟子についてはこれから管理人様が講義して下さいますので、省略させていただきます。後二書についてまず驚いたのが、29歳で刑死された吉田松陰先生の読書量です。史記から明史までの中国の正史をすべて読破されておられるのです。明史などは研究室の書籍棚が一杯になるほどの量です。私は史記だけは日本語訳でほぼ通読しましたが、漢書も本紀しかよめておりませんし、司馬光の資治通鑑も司馬光の「臣光曰」の出てくる箇所を中心に抜粋で読んだにすぎません。まず、その勉強量だけでも脱帽です。
     また、これはゆっくりと語らせていただきますが、思考内容も深いことは申すまでもございません。
     しかし、吉田松陰先生は読み手が偏見を抱いている人物であると危険です。
     先の大戦で「国体護持」「本土決戦」を強硬に主張した極右は、松陰先生の尊王思想の一面だけを皮相に取り上げ、率直に言って恣意的に「悪用」しました。
     日本の降伏が遅れていたら、日本列島は四分割され、東京もベルリンのようにされる予定でございました。日本語も禁じられ、大和民族は文化的に滅亡してしまったことでしょう。読み手が低レベルだと高邁な思想も危険な政治行動に転化します。おそるべきことです。
     自分は漢籍は管理人様にはるかに及ばないので、松陰先生の教えを学びながら、スピノザ全集3巻を精読しております。一見無関係なように見えるお二人ですが、実は共通点が多いように感じております。
     現段階ではまだ印象のレベルにとどまっており血肉化もできておらず、まして言語化及び文章化はいつになるか解りませんが、思いついた考えをメモにまとめて、皆様の大所高所からのご批評を仰ぎたいと愚考しております。
     最初から冗長なる乱文と相成りましたこと、どうかご海容の程宜しくお願い申し上げます。

    • jun より:

      杉山様のおっしゃる通り一面だけを偏って捉えることは危険です。さらに、偏った意見を故意に誇張して語ることは害だと思います。
      私は、そのようにならないためにもこの場で学び合うことができれば嬉しく思います。杉山様はじめ皆様のお考えやご意見をどんどん書き込んで頂けるとありがたいです。
      私はまだまだ未熟で勉強不足ですが、古今東西を問わず、立派人物の思想は根本的に共通するところが多いと思います。
      その共通していることろが、本質であり真理であると考えます。
      ですから、多くの書物を読みたいと思いますが、実際は読めずにいます。
      皆様のお力を借りて、しっかりと学びたいと思います。よろしくお願いいたします。

  2. 杉山憲一 より:

    管理人様
     先ほど、メールを拝読させていただきました。
     ご多忙であらせられますところ、本当にどうも有難うございます。
     ご指摘のように、なぜか別アドレスからのメールは受信できません。自分なりに原因を究明してみます。
     くり返しになりますが。お手数をおかけし、申し訳ございませんでした。

     杉山憲一拝

  3. 杉山憲一 より:

    お久しぶりです。諸事に忙殺され、本日只今となってしまいました。
    今回は時間もないため、吉田松陰先生とスピノザの二つ目の共通点について記させていただきます。
     それは国家の統一に貢献したことであります。

     吉田松陰先生のご著作は伊藤博文含め、門下生たちによく読まれ、明治維新の原動力となり、一節には数百ともいわれる藩に分かれていた、日本を見事一国に統一いたしました。

     他方でスピノザはユダヤ教会を破門されたユダヤ人としてオランダでひっそりと暮らし、レンズ磨き職人をしつつ、妻子も持たず、いや、持てずというべきか(ご承知の通り、松陰先生も独身でいらっしゃいました。)黙々と著作をあらわしておりました。
     しかし、何たる歴史の狡知か、かの鉄血宰相ビルマルクがスピノザの著作を愛読し、自分がドイツ統一の使命を負っていることを確信し、彼お得意の権謀術数を弄して、オーストリアとフランスをともに打ち負かし、ついにドイツ帝国を成立させてしまいました。スピノザも自分の思想がドイツ統一をもたらすとは予想だにしなかったことでありましょう。
     今回は時間がございませんので、恐縮ですがここで失礼させていただきます。

  4. jun より:

    こんばんは!
    管理人のJUNです。

    【吉田松陰先生とスピノザの二つ目の共通点】の投稿ありがとうございます。
    松陰先生もスピノザもその言葉で国家の統一に貢献。
    まさに「言葉の力」ですね。
    言葉が現実をつくる。
    そして、身体は朽ちても、よい言葉、素晴らしい思想、美しい魂は、受け継がれていきます。
    これからも、よい言葉、素晴らしい思想、美しい魂を発信していきたいと思います。
    どうぞよろしくお願いいたします。

タイトルとURLをコピーしました