社会とは

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「社会」というのは、明らかにひとつの「観念」であって、決して物のように自分の外に存在している何かじゃない。

物のように外に存在してるかのように思われる「社会」、社会という現実は、皆が内で思っているその観念の、外への現れだ。
観念が現実を作っているのであって、決してその逆じゃないんだ。

このことに気がつくことはすごく大事なことで、うまくこれに気がつくことができると、すべてがそんなふうにできあがっているということもわかるはずだ。
「社会」なんてものを目で見た人はいないのに、人はそれが何か自分の外に、自分より先に存在するものだと思っている。
思い込んでいるんだ。
それが自分や皆でそう思ってるだけの観念だということを忘れて、考えることをしないから、思い込むことになるんだね。
でも、自分の外に存在しているかのように思われる社会というものを、それならよく見てごらん。
その社会に存在しているのは、やっぱり同じように思い込んでいる人々がいるばかりじゃないか。
その人々の集まりのことを、「社会」と呼んでいるだけじゃないか。

「ない」のに「ある」と思いこまれたものは、当然あることになる。
自分の外に物のようにある社会は、当然自分に対立してあると思われることになる。
社会は個人を規制するわずらわしいもの、個人主義の捉え方だ。
その極端なのが、わかるね、自分に都合が悪いことはすべて、「社会が悪い」「社会のせいだ」というあの態度だ。
でも、社会が自分の外にあると思っているのは、ほかでもないその人だ。
自分でそう思い込んでいるだけなのに、じゃあその人はいったい何を責め、誰が悪いと言っていることに。なるのだろう。

社会を変えようとするよりも先に、自分が変わるべきなんだとわかるね。
なんでもすぐ他人のせいにするその態度を変えるべきなんだ。
だって、すべての人が他人のせいにし合っている社会が、よい社会であるわけがないじゃないか。
社会は、それぞれの人のうちの観念以外のものではないのだから、それぞれの人がよくなる以外に、世界をよくする方法なんてあるわけがないんだ。
現実を作っているのは観念だ。
観念が変わらなければ現実は変わらないんだ。
社会のせいにできることなんか何があるだろう。

『14歳からの哲学』池田晶子

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