恋愛と性

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心は心、体は体という割り切り方をする人もいるようだ。
恋愛は恋愛で、セックスはセックス、好きでない人ともセックスはできるから、セックスだけ別にして売ってしまおうという、それが売春という行為だ。
体は売っても心は売らないという変な理屈だけど、見えも触りもしない心売れないのは当然だ。
たとえ売れるにせよ、売れるものなら何でも売ってしまおうなんて安い心を、わざわざ買う人なんぞいやしない。
なのに、その子は、心は大事だから売れないのだと思っているのだから、哀れな勘違いじゃないだろうか。

なぜ心は大事で、体は大事ではないのだろうか。
心が大事なら、体も大事なはずなんだ。

人は、見える体のことは確かによく大事にする。
手入れをしたりお化粧をしたり、なるほどときには売り物にもなるからだ。
でも、売り物にするのだから、やっぱり大事にしているわけじゃない。
じゃあ心は大事にしているのかといえば、体を売るというその考えが、そのまま心を売ることなのだから、やっぱりこれも同じことだ。

たぶん、したいことをすることが、心を大事にすることだと思っているのだろう。
「誰にも迷惑かけないのに何が悪いの」というのも、売春する子の屁理屈だ。
その通り、その子が売春したところで、誰も迷惑は受けないし、悪くなることも何もない。
だけど、この世の中でたった一人だけ、大変な迷惑を受け、大変悪いことになる人がいる。
売春しているまさにその子だ。
心も体も大事にしないで、それが悪くならないはずがないじゃないか。
自分が悪くなることをすることが、どうしてしたいことをしていることになるのだろう。

(略)

そういう人も、いつか本当に好きな人を見つけて、かつての過ちに気づけたなら、幸いだ。
友達をその数の多さだけで誇れるものではないように、恋愛やセックスも、その数の多さだけで誇れるものではないだろう。
だって、口があるなら好きだと言えるし、性器があるなら性交はできる。
そんなのは誰にでもできることなんだもの、しょせん動物なんだから。

誰にでもできるのではないことは、動物ではない人間にしかできないことは、その人のことを愛することが、自分を愛することである、そういう恋愛をすることだ。
自分を愛せる人でなければ、他人を愛することはできないのだったね。
恋愛も同じだ。
いや、動物としてのセックスがあるぶんだけ、恋愛こそが試されることだ。
先は長いけど、そんなに長くもない。検討を祈るよ。

『14歳からの哲学』池田晶子

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