己を捨てて人にしたがう道

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ひもじいときに、よその家へ行って、「どうか一飯めぐんでください。そうすれば、私は庭をはきましょう」と言っても、一飯をふるまってくれる者はない。
空腹を我慢してまず庭をはけば、あるいは一飯にありつくこともあろう。
これは、己を捨てて人にしたがう道であって、物事すべてがうまくゆかなくなったようなときにも可能な道だ。
私は若いころ初めて家を持ったとき、一枚の鍬が壊れた。
隣家へ行って、「鍬を貸してください」と言ったところが、隣家の老人は、「いまこの畑を耕して菜を蒔こうとしているところだ。蒔きおえるまで貸すわけにはいかない」という。
自分の家に帰ったところが別にする仕事もない。
私は「ではこの畑を耕してあげましょう」と言って耕し、「菜の種を出してください。ついでに蒔いてあげましょう」と言って耕したうえに種を蒔いて、そのあとで鍬を借りた。
そのとき隣家の老人は、「鍬だけでなく、何でも困ることがあったら遠慮なく申し出なさい。きっと用立てましょう」と言ってくれたことがある。
こういうふうにすれば、何事も差し支えのないものだ。
おまえが国に帰って新しく一家持ったなら、必ずこのことを心得ておきなさい。
お前はまだ働き盛りだから、一晩中寝なくても障りもあるまい。
夜々寝る暇を励んでわらじの一足か二足も作り、翌日開拓場に持ち出して、わらじの切れた人、破れた人にやったなら、もらった人が礼を言わないとしても、もともと寝る暇で作ったものだから、それまでのことだ。
礼を言う人があれば、それだけの徳だ。
また一銭・半銭でもくれる人があれば、それだけの利益だ。
この道理をよく覚えておいて、毎日怠らずに勤めれば、志の達しないはずはなく、何事もできないことがないはずだ。
私が幼少のときに勤めたのも、これ以外のことではない。肝に銘じて忘れないようにしなさい。

『二宮翁夜話』二宮尊徳

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