思わせ人生

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もともとハウツー本とは、そういうものだと言えば、そういうものだろう。
本当にそうであるのではなくて、そうである「ふりをする」、そうである「気分になる」、そういう「見せかけ」でよしとするものである。
なんで本当ではなくて見せかけでよしとするかというと、本当の人生をよしとしていないからである。
自分の人生を生きていないからである。
自分の人生を生きていないとは、裏返し、他人の人生を生きている。
他人にどう思われるかということで生きているということである。
そういう人にとって、他人に「思わせる」ためのハウツーが重要になるのは、当然なのである。

それにしたって、あんまりあからさまではなかろうか。
こういうことになるのは、おそらく、この手の本を売る方も買う方も、本当にそうだと思っているからである。
他人にどう思われるか、他人にどう思わせるかということが、人生にとっての最重要事であると、疑ったこともないのである。
人生とは、人間とは、他人にどう思われるかということ以外の何ものでもないと。
改めて思うに、これはちょっと凄いことだ。
そういう人生、私には、ある意味で想像を絶するところがある。

なるほど人間には、誰も多少は人目を気にするところがある。
しかし、現代社会は特にこの傾向が顕著なのではなかろうか。
ざっと見渡してみるだけでも、世の中その手のことばかりである。
いやそういう考え方こそが、人々を動かしている原動力のようにも見える。
互いに互いの目を気にしない、いかに自分をよく見せようか。
「十歳若く見せるための」とか、「いい女に見られるための」とか、女性誌ファッション誌なんかは、徹頭徹尾その思想である。
今さらながら、「装う」とは、「見せかける」ということなのだった。

でもまあ女性の装いは愛嬌のうちである。
情けないのは、大の男が装う頭のよい「ふり」である。
頭のよいふりをすることよりも、実際に頭がよくなることの方がよいことなのは、明白ではないか。
よくなるための努力の方が、よいことに決まっているではないか。
頭がよいふりをして、頭がよいように思わせて、それで自分自身のいったい何が、「よく」なるというのだろう。

『知ることより考えること』池田晶子

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