幸福な魂

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「幸福」の語によって、あれこれ中身を表象する人の不幸は、たとえば、そこには必ず比べる心があることだ。
自分と他人を、自分の暮らしと他人の暮らしを、比べる心があることだ。
しかし、自分の幸福に完結している魂が、いかなる理由があって、他人のそれらを気にするだろう。
なぜ人は、自分で幸福であろうとはしないのだろうか。
自分以外の一体、誰が幸福であることができるのだろうか。

『残酷人生論』池田晶子

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