規則

この記事は約2分で読めます。

規則というのは、自分の自由を規制する不自由なもの、と感じている人が多い。
裏から言えば、多くの人の関心がそこにあるということだ。
たとえば、とにかくお金に興味がある人に、「泥棒してはいけない」という法律は不自由だ。
とにかくセックスに関心がある人に、「女性に暴行してはいけない」という法律は不自由だ。
さらには、どうしても殺したい人がいる人に、「人を殺してはいけない」という法律は不自由であるに違いない。

でも、泥棒にも暴行にも殺人にも関心がない人には、そんな法律は必要ないし、あってもそれに縛られるということは感じない、その人の自由は少しも規制されていないよね。
もし世の中がそんなふうに自由な人ばっかりだったら、もともと法律なんてものは全然いらないはずだと思わないか。

だけど、やっぱりこの人の世には、ほうっておいたらそんなことばかりをする人が繰り返し現れるから、世の中には法律という規則があるんだ。
ただ、ここで気をつけてほしいのは、法律はそれを「してはいけない」としているのであって、「悪い」としているわけではないということだ。
なぜなら、法律がいけないとすることが悪いことなのだったら、どうしてそんな法律があるのだろう。
つまり、多くの人はそれを悪いことだとは思ってないからだって、これわかるかな。

(略)

人間はもともと悪いものだと見るその人間が作る法律なんだから、その法律の方が悪い場合だって当然ある。
その時その時の人間が、その時その時の都合で作るものなのだから、法律や規則の決めることが必ず正しいなんてことが、まさかあるわけがない。

じゃあ、社会が決める法律には正しさは必ずしもないとすれば、正しさはどこにあるか、わかるね。
そう、自分にあるんだ。
善悪を正しく判断する基準は、自分にある、自分にしかないんだ。
なるほど、人には自分のしたいことをする自由がある、悪いことをする自由もある。
でも、悪いことをする自由は、じつは自由ではないんだ。
だからこそ、善悪を自分で判断すること、それができることこそが、本当の自由なんだ。
自分で自由に決めるということの、本当の意味なんだ。

『14歳からの哲学』池田晶子

Views: 5

コメント

タイトルとURLをコピーしました