憤の一字

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現代語訳です。

発憤するの憤の一字は、学びを進めるための最も必要な心のはたらきです。
孔子の弟子の顔淵が「舜も自分も同じ人間ではないか。(なろうとする志さえあれば自分でも舜のような人物になれない道理はないはずだ。)」といったことは、まさに憤ということです。

発憤…心をふるいたたせること。
顔淵…孔子最愛の門人。姓は顔、名は回、字名は子淵。孔子より30歳若かったが、41歳で孔子に先立って亡くなった。
舜…堯 (ぎよう) と並び称される中国太古の伝説的な聖天子。父・義母・異母弟の悪行に耐えて孝をつくし,堯に仕えてその信任を得,位を譲られたと伝えられる。

「舜も自分も同じ人間ではないか。(自分でも努力次第では舜のような人物になれない道理はないはずだ。)」
原文は
「舜何人(なんびと)ぞや、予(われ)何人ぞや。為すことあらんとする者は亦(また)是(かく)の若(ごと)くなるべし。」『孟子』滕文公 首章

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原文です。

憤の一字は、是れ進学の機関なり。
舜何人ぞや、予何人ぞやとは、方に是れ憤なり。

『言志録』佐藤一斎
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よみかたです。

ふんのいちじは、これしんがくのきかんなり。
しゅんなんびとぞや、われなんびとぞやとは、まさにこれふんなり。

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