友情というのは友だちに対する愛情だ。
友情は愛情の一つのありようだ。
では、愛情というのは、誰に対する、どんなありようのことなのだろう。もしも君が、犬や猫やハムスターや、自分のペットを飼っているなら、彼らに対する気持ち、あれが愛情の原点だ。
大事で、いとおしくて、何がどうなのであれ、居てくれればそれでいいと思うだろ。
少々噛みつかれたり引っかかれたりしても、まあコイツのすることならいいやって、許しちゃうだろ。
つまり、彼らのすべてを丸ごと受け容れて認めること、無条件の愛情だ。
愛情というのは無条件であるものなんだ。ただ、ペットの場合は彼らの方が無条件でなついてくるから、人間の方も無条件で受け容れやすい。
難しいのが、人間同士だ。
人間が人間を無条件で愛するというのは、ものすごく難しい。
ある意味では、人はこれを学ぶためにこの世で生きているとも言えるんだ。たぶん、君のお母さんは、私は子供を無条件で愛しています。
親の愛こそ無私の愛ですと言うだろう。「無私の愛」、つまり、私にとってこんなふうに得で、こんなふうに損だという計算が一切ない愛、相手を丸ごと認めて受け容れることができるのは、そこに「自分」がないからだ。
『14歳からの哲学』池田晶子
でも、もし、親が子供を自分の子供だから愛するというのなら、親が愛しているのは、ひょっとしたら、その子供そのものではなくて、自分なのかもしれないね。
愛しているのは、あくまでも自分なのかもしれないね。
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