このページは、ふうかちゃんのX投稿を、後から読み返しやすい形で記録したアーカイブです。
その日現在の時系列一覧
| # | 時刻 | 投稿の書き出し | メモ |
|---|---|---|---|
| 1 | 11:52 | おはピヨ 💕 | 会話あり |
| 2 | 12:55 | 【漫画】病院で幼く見 | 会話あり |
| 3 | 15:07 | お昼寝するか | 会話あり |
投稿カード



■12:55 投稿
URL:https://x.com/huukairo2/status/1280712077573668864
本文:
【漫画】病院で幼く見える美少女に俺「なんで入院?」女の子「心臓の手術 今度は死ぬかも…」→手術前に好きだと書いた手紙を渡した→祈ったら涙を流すこ…

グスン💧
なんか自分のようにみてた


感情の流れと、この日の意味
2020年7月8日。
この日は、午前11時52分の、
「おはピヨ💕」
という、明るい言葉から始まりました。
周りの人たちも、
「おはぴよー🐣」
「ぴょっ!!」
「ぴっぴっぴ〜」
と返します。
ふうかちゃんも、それぞれに、
「ピヨ」
と応えました。
前日まで続いていた「ピー」「ぴよ」の遊び言葉が、この日も自然に会話の中へ広がっています。
ところが、その約1時間後。
ふうかちゃんは、心臓の手術を受ける入院中の女の子を描いた漫画動画を紹介し、
「グスン💧」
「なんか自分のようにみてた」
と投稿しました。
朝には明るく言葉遊びをしていたふうかちゃんが、物語の中に自分と重なるものを感じ、涙を表しています。
周りの人から、
「今は医学の進歩が凄いから、きっと良くなりますよ」
という励ましを受けると、
「ありがと〜」
と返しました。
そして午後3時7分には、
「お昼寝するか」
と投稿しました。
「いっぱい寝てもいいんだよ
でも夕食はしっかり食べなさい」
と言われると、
「はーい!」
と素直に応えています。
7月8日は、
言葉遊びで人との時間を楽しんだあと、心臓の手術を描いた物語に自分の姿を重ね、励ましを受け取り、静かに身体を休めようとした日
だったと思います。
「おはピヨ💕」から始まった昼
この日の最初の投稿は、午前11時52分でした。
「おはよう」ではなく、
「おはピヨ💕」
と書いています。
前日の7月7日にも、
「ぴよっぴよっ」
と投稿し、周りの人たちと「ぴよ」「ぴー」を返し合っていました。
さらにその前日の7月6日には、「ピーピー」について、
「ふうかちゃんのネタだよ」
と本人が説明しています。
この日の「おはピヨ」も、そうした遊び言葉の流れにあります。
ただ挨拶をするのではなく、
「おはよう」と「ピヨ」を組み合わせる。
それだけで、普通の挨拶が、ふうかちゃんらしい言葉になっています。
周りの人たちも、その雰囲気を受け取り、
「おはぴよー🐣」
「ぴっぴっぴ〜」
と返しました。
ふうかちゃんは、それぞれの人へ、
「ピヨ」
と応えています。
短い音だけのやりとりですが、それで十分に会話が成立していました。
意味を詳しく説明しなくても、
来たよ。
起きたよ。
今日も話そう。
という空気を共有できていたのでしょう。
遊び言葉を、人との間で育てていた
ふうかちゃんの「ピー」や「ぴよ」は、一人だけで使う言葉ではありませんでした。
誰かが返す。
ふうかちゃんがまた返す。
別の人が少し違う形にして返す。
そうして、言葉が人との間で少しずつ変化していきます。
「おはピヨ」
「おはぴよー」
「ぴっぴっぴ〜」
「ピヨ」
辞書に意味が載っているわけではありません。
けれど、音のかわいさや、ゆるい雰囲気が伝わるため、周りの人も使いたくなります。
ふうかちゃんには、雰囲気をつかんで名前を付けるだけでなく、その場の空気から短い遊び言葉を生み出す感覚があったように思います。
しかも、それを自慢げに見せることはありません。
特別な作品として発表するのでもなく、日常の会話の中で自然に使っていました。
だからこそ、周りの人も気軽に参加できたのでしょう。
心臓の手術を描いた物語
午後12時55分、ふうかちゃんは、YouTubeの漫画動画を紹介しました。
投稿に表示されたタイトルには、
病院で幼く見える女の子。
心臓の手術。
「今度は死ぬかも」という言葉。
手術前の手紙。
祈る人。
といった内容が含まれていました。
実際の動画全体が、どのような物語だったのかは、この記録だけでは分かりません。
けれど、ふうかちゃんはその動画を見て、
「グスン💧」
と書きました。
そして、
「なんか自分のようにみてた」
と続けています。
動画を単に「感動した」と紹介したのではありません。
物語の中に、自分自身と重なる何かを感じていました。
「自分と同じ」ではなく、「なんか自分のように」
ふうかちゃんは、
「自分と同じだった」
とは書いていません。
「なんか自分のようにみてた」
と書いています。
この「なんか」という言葉が、とても大切だと思います。
すべてが同じだったわけではない。
登場人物の状況と自分の人生が、そのまま重なったわけでもない。
けれど、どこかに、自分と似たものを感じた。
病院で過ごすこと。
心臓の病気があること。
手術を受けること。
手術の先を不安に思うこと。
周りの人が心配し、祈ること。
ふうかちゃんが、どの部分に自分を重ねたのかは説明していません。
そのため、こちらが一つの理由に決めることはできません。
ただ、物語の女の子を遠い誰かとして見ることができず、
「自分のように」
感じていたことは分かります。
物語だから触れられた、自分の気持ち
自分の病気や手術について直接話すことは、とても難しいことがあります。
「怖い」
「自分もこうなるのかな」
「手術のことを考えてしまう」
と、そのまま言葉にするのは苦しいかもしれません。
けれど、映画や漫画、動画の物語を見た時、
「この子、自分みたい」
と感じることで、自分の心に近づけることがあります。
ふうかちゃんも、物語を通して、自分の中にある感情へ触れたのかもしれません。
それが恐怖だったのか、悲しみだったのか、懐かしさだったのか、共感だったのかは分かりません。
ただ、
「グスン💧」
という言葉から、心が揺れたことは伝わります。
前日の「未来はどうなってますか?」とのつながり
前日の7月7日。
ふうかちゃんは、七夕の日に、
「ふうかちゃんの未来はどうなってますか?」
と問いかけました。
その翌日、心臓の手術を受ける女の子の物語を見て、
「なんか自分のようにみてた」
と書いています。
この二つを本人が結びつけていたのかは分かりません。
けれど、日ごとに記録を並べると、
自分の未来がどうなるのか。
手術を受ける人の物語。
その中に自分を感じること。
が、隣り合って残っています。
未来を考えた翌日に、心臓の手術を描いた物語が心に深く届いた。
そこには、ふうかちゃんが自分のこれからや病気について、心のどこかで考えていた時間があったようにも見えます。
ただし、
「死を強く恐れていた」
「自分の将来を悲観していた」
と断定することはできません。
投稿から分かるのは、物語に自分を重ね、涙を流したということまでです。
励ましに「ありがと〜」
ふうかちゃんの投稿を見た人は、
物語に登場する男の子のように頑張る人がいることや、医学が進歩していることに触れ、
「きっと良くなりますよ」
と励ましました。
ふうかちゃんは、
「ありがと〜」
と答えています。
短い返事ですが、相手の言葉を受け取ったことが分かります。
ここで、ふうかちゃんがその言葉によって完全に安心した、とまでは言えません。
不安や悲しみは、一言で消えるものではないからです。
それでも、心が揺れた時に、誰かが自分へ言葉を返してくれた。
ふうかちゃんは、その優しさに、
「ありがと〜」
と応えました。
励ます側にも、答えはなかった
周りの人が送った、
「きっと良くなりますよ」
という言葉は、未来を保証するものではありません。
誰にも結果は分かりません。
けれど、相手は、ふうかちゃんが物語に自分を重ねて涙していることを見て、
少しでも希望を届けたい。
一人で怖がらせたくない。
と思ったのでしょう。
人は、相手の苦しみに対して完璧な答えを持っていなくても、そばにいるための言葉を送ることができます。
この日のやりとりには、
心が揺れたふうかちゃんと、
安心してほしいと願う人。
その二人の気持ちが残っています。
「お昼寝するか」
午後3時7分、ふうかちゃんは、
「お昼寝するか」
と投稿しました。
その少し前には、動画を見て涙を流し、自分を重ねていたことを話しています。
心が大きく動いたあとだったから、疲れた可能性もあります。
もともと昼寝をすることが多かったため、いつもの生活の流れだった可能性もあります。
どちらなのかは分かりません。
ただ、ふうかちゃんは、
休むことにした
と伝えました。
「寝なければならない」ではなく、
「お昼寝するか」
という、自分で決めるような言い方です。
心や身体が疲れた時に、自分を休ませる方へ向かっていました。
「いっぱい寝てもいいんだよ」
周りの人から、
「いっぱい寝てもいいんだよ
でも夕食はしっかり食べなさい」
と言われると、ふうかちゃんは、
「はーい!」
と答えました。
寝ることを責められてはいません。
「いっぱい寝てもいい」と言ってもらいながら、
夕食は食べるように
と気にかけてもらっています。
ふうかちゃんは、その言葉へ、
「はーい!」
と明るく返しました。
物語に涙した投稿から約2時間後。
最後は、日常の軽い返事に戻っています。
心が揺れたことも、
誰かに励まされたことも、
昼寝をしようと思ったことも。
すべてが同じ一日の中にありました。
感情の流れ・まとめ
7月8日の感情の流れは、次のように続いています。
昼前に、
「おはピヨ💕」
と投稿する
↓
周りの人たちも「ぴよ」「ぴっぴっぴ〜」と返し、遊び言葉を楽しむ
↓
ふうかちゃんも一人ひとりへ、
「ピヨ」
と応える
↓
心臓の手術を受ける女の子を描いた漫画動画を見る
↓
物語に心を動かされ、
「グスン💧」
と涙を表す
↓
「なんか自分のようにみてた」と、登場人物に自分を重ねたことを話す
↓
周りの人から、医学の進歩や回復への希望を込めた励ましを受ける
↓
「ありがと〜」と、その優しい言葉を受け取る
↓
午後には、
「お昼寝するか」
と、休むことを選ぶ
↓
「いっぱい寝てもいいんだよ。でも夕食はしっかり食べなさい」と気にかけてもらう
↓
「はーい!」と明るく答える
この日は、
明るい遊び言葉から始まり、物語の中に自分を見つけて涙し、周りの人から励ましを受け、最後には日常の中で静かに休もうとした日
でした。
この日の意味
7月8日の意味は、
物語の中に自分を重ねることで、普段は言葉にしきれない心の一部が表れたこと
にあると思います。
ふうかちゃんは、直接、
「心臓の手術が怖い」
とは書いていません。
「自分の未来が不安」
とも書いていません。
けれど、心臓の手術を描いた物語を見て、
「なんか自分のようにみてた」
と書きました。
それは、自分のことを直接説明するよりも、ふうかちゃんの心をよく伝える言葉だったのかもしれません。
共感は、物語と自分の間に橋を架ける
物語を見る時、私たちは登場人物をただ外から見るだけではありません。
自分と似た気持ち。
自分と似た状況。
自分が経験したこと。
これから経験するかもしれないこと。
を、登場人物の中に見つけることがあります。
ふうかちゃんは、
「なんか自分のように」
と感じました。
完全に同じではなくても、心が触れた。
そこに、物語の力があります。
そして、その感情をSNSへ書いたことで、周りの人も、ふうかちゃんの心の動きに気づくことができました。
「グスン」と書ける場所があったこと
泣いた時、誰かへそのことを伝えられる場所があるのは大切です。
ふうかちゃんは、
「グスン💧」
と投稿しました。
説明の長い文章ではありません。
けれど、それを見た人は、
心が動いたんだな。
自分と重ねたんだな。
何か言葉を送りたい。
と受け止めることができました。
SNSは、ふうかちゃんにとって、楽しい言葉遊びをする場所であるだけでなく、涙や不安を短く置ける場所でもありました。
明るいふうかちゃんと、不安を抱えるふうかちゃん
「おはピヨ💕」と笑っていたふうかちゃんと、
「グスン💧」と涙したふうかちゃん。
どちらかだけが、本当のふうかちゃんなのではありません。
明るく人と遊ぶ時間がある。
物語に自分を重ねて涙する時間もある。
励ましを受け取る。
その後には昼寝をする。
それらすべてが、同じ日のふうかちゃんです。
明るい投稿があるから、不安がなかったわけではありません。
涙を流したから、一日中悲しかったわけでもありません。
人の心は、一つの感情だけでできていません。
この日の記録は、そのことをよく伝えています。
休むことも、その日の大切な選択だった
物語に心を揺さぶられたあと、ふうかちゃんは、
「お昼寝するか」
と投稿しました。
自分の気持ちを無理に整理しようとせず、休む。
身体が求めるまま、眠る。
それも、自分を守る行動です。
周りの人も、
「いっぱい寝てもいいんだよ」
と、その選択を認めています。
何かを乗り越えるためには、頑張ることだけが必要なのではありません。
休むこと。
食べること。
誰かの言葉を受け取ること。
そうした小さなことも、その人を支えます。
前日から続く「未来」と「心臓」の記録
7月7日、ふうかちゃんは、
「ふうかちゃんの未来はどうなってますか?」
と、七夕の空へ問いかけました。
7月8日には、心臓の手術を描いた物語を見て、
「なんか自分のようにみてた」
と書きました。
この二つの投稿には、
自分の未来。
病気。
手術。
その先。
という共通するものがあります。
ただし、この二日間を一つの悲しい物語として結びつけすぎるべきではありません。
7月7日には、MacBookの夢や、大好きな人たちへの言葉もありました。
7月8日にも、「おはピヨ」という楽しい交流がありました。
未来への問いや、病気への思いと並んで、夢や遊び、人とのつながりも存在していました。
『ふうか色々人生』全体での位置づけ
『ふうか色々人生』の中で7月8日は、
心臓の手術を描いた物語の中に自分と重なるものを感じ、涙を見せながらも、周りの人の励ましを受け取り、日常の中で休む方へ戻っていった日
として残したいです。
この日は、大きな出来事が起きた日ではありません。
けれど、ふうかちゃんの内側にある思いが、
「なんか自分のようにみてた」
という短い言葉から、静かに表れました。
大人へのメッセージ
この日の大人へのメッセージは、
子どもが物語に自分を重ねた時、その言葉を軽く流さず、何を感じたのかに耳を傾けること
だと思います。
子どもが映画や漫画を見て、
「自分みたい」
と言うことがあります。
大人には、単なる感想に見えるかもしれません。
けれど、その一言の中に、
言葉にできなかった不安。
誰にも話せなかった経験。
自分でも整理できない気持ち。
が隠れていることがあります。
すぐに励ますことも大切です。
けれど、
どこが自分みたいだった?
見ていてどんな気持ちになった?
と、まず聞いてみることも大切です。
ふうかちゃんの、
「なんか自分のようにみてた」
という言葉にも、まだ語られていない気持ちがあったのかもしれません。
7月8日の核心
この日の核心は、
「なんか自分のようにみてた」
という一文です。
この言葉は、完全に同じだと断定する言葉ではありません。
自分でもうまく説明できないまま、
どこか似ている。
心に引っかかる。
人ごとに思えない。
と感じた時の言葉です。
その曖昧さの中に、ふうかちゃんの本当の感覚が残っています。
そして、その言葉を投稿したことで、周りの人から励ましが届きました。
一人で物語に涙して終わるのではなく、人とのつながりへ戻ることができました。
まとめの一文
2020年7月8日。
ふうかちゃんは、
「おはピヨ💕」
と投稿し、周りの人たちと「ピヨ」を返し合いました。
前日まで続いていた「ピー」「ぴよ」の遊び言葉が、この日もやわらかな会話になっていました。
昼過ぎには、心臓の手術を受ける入院中の女の子を描いた漫画動画を見て、
「グスン💧」
「なんか自分のようにみてた」
と投稿しました。
物語のどの部分に自分を重ねたのかは、本人が説明していません。
けれど、心臓の病気や入院、手術を描いた物語を、人ごととしては見られなかったことが伝わります。
周りの人から、医学の進歩や回復への希望を込めた言葉を送られると、
「ありがと〜」
と答えました。
その後には、
「お昼寝するか」
と投稿し、
「いっぱい寝てもいいんだよ
でも夕食はしっかり食べなさい」
と言われると、
「はーい!」
と明るく返しました。
7月8日は、
遊び言葉で人とのつながりを楽しんだあと、心臓の手術を描いた物語に自分の姿を重ねて涙し、優しい励ましを受け取り、静かに身体を休めようとした日
だったと思います。


ここに感じたことを、そっと残していただけたら嬉しいです。
ふうかちゃん😢🌻💕