2020年7月11日|X投稿アーカイブ

このページは、ふうかちゃんのX投稿を、後から読み返しやすい形で記録したアーカイブです。


その日現在の時系列一覧

#時刻投稿の書き出しメモ
110:36ピ会話あり
217:20たくさんねた会話あり
319:07点滴ばかりきらい会話あり
419:43ふうかちゃんの腕注射会話あり

投稿カード

■ 10:36投稿

URL:https://x.com/huukairo2/status/1281764313368154112

本文:
ピ

■ 17:20投稿

URL:https://x.com/huukairo2/status/1281865814828740608

本文:
たくさんねた

■ 19:07投稿

URL:https://x.com/huukairo2/status/1281892986297581568

本文:
点滴ばかりきらい

■ 19:43投稿

URL:https://x.com/huukairo2/status/1281901883494289408

本文:
ふうかちゃんの腕注射の針ばかり

感情の流れと、この日の意味

2020年7月11日。

この日は、午前10時36分の、

「ピ」

という、ふうかちゃんらしい短い言葉から始まりました。

周りの人たちも、

「ぴっぴー」
「ぴ」
「ピヨ」

と音を返し、ふうかちゃんも、

「ピヨ」

と応えています。

意味を説明しなくても通じ合える、いつもの遊び言葉です。

午後5時20分には、

「たくさんねた」

と投稿しました。

前日の7月10日には、

「今日はたくさん寝ます」

と書いていたふうかちゃん。

その言葉どおり、この日はたくさん眠ったことを伝えています。

けれど、夜になると、投稿の空気が変わりました。

午後7時7分。

「点滴ばかりきらい」

そして午後7時43分には、

「ふうかちゃんの腕注射の針ばかり」

と書きました。

たくさん眠って身体を休めたあとも、腕には点滴や注射の針が続いていたのでしょう。

周りの人たちからは、

「今はちょっとだけ我慢しようね」
「ナデナデ」
「よしよし」
「泣かない泣かない」
「大丈夫大丈夫」

と、ふうかちゃんを気遣う言葉が届きました。

ふうかちゃんは、長い言葉ではなく、

「うん💧」

や、涙のしずく一つで応えています。

また、

「ご飯もりもり食べられるようになるといいね」

と言われると、

「おやつも」

と返しました。

点滴ばかりのつらい時間の中でも、おやつを食べたいという気持ちは残っていました。

7月11日は、

朝には遊び言葉で人とつながり、たくさん眠って身体を休めたあと、点滴や腕の針が続くつらさを隠さずにこぼし、周りの人たちの優しい言葉を受け取った日

だったと思います。


朝の「ピ」

この日の最初の言葉は、

「ピ」

でした。

文章ではありません。

何かを説明する言葉でもありません。

けれど、周りの人たちは、ふうかちゃんの「ピ」を見て、

「ぴっぴー」
「ぴ」
「ピヨ」

と返しました。

ふうかちゃんも、

「ピヨ」

と応えます。

7月6日に、ふうかちゃんは「ピーピー」について、

「ふうかちゃんのネタだよ」

と話していました。

自分で生み出した言葉遊びであることを、特に自慢する様子もなく、尋ねられたことへ自然に答えていました。

それから数日が過ぎても、「ピ」や「ピヨ」は周りの人たちとの間で使われ続けています。

ふうかちゃんが置いた一つの音を、誰かが受け取り、少し形を変えて返す。

意味を正確に伝えるためではなく、同じ空気を分け合うための会話です。

この日の始まりにも、ふうかちゃんらしいやわらかなつながりがありました。


前日の言葉どおり、「たくさんねた」

前日の7月10日、ふうかちゃんは、

「今日はたくさん寝ます」

と投稿しました。

その翌日の午後5時20分、

「たくさんねた」

と伝えています。

予定どおり眠れたことを、短く報告したのでしょう。

どれくらいの時間眠ったのかは分かりません。

眠りによって体調がよくなったのか、疲れが取れたのかも確認できません。

ただ、

たくさん寝ると決めた。
そして、本当にたくさん寝た。

という流れは残っています。

ふうかちゃんは、自分の状態や、その日にしたことを、短い言葉で周りの人へ伝えていました。

前日の宣言と、この日の報告。

二つを並べると、静かに身体を休めていた時間が見えてきます。


たくさん眠っても、治療は続いていた

たくさん眠ったと伝えた約2時間後、ふうかちゃんは、

「点滴ばかりきらい」

と投稿しました。

身体を休めれば、嫌なことがすべてなくなるわけではありません。

目を覚ませば、また点滴がある。

腕には針がある。

休息のあとにも治療は続いていました。

「点滴が嫌い」ではなく、

「点滴ばかりきらい」

と書いています。

この「ばかり」には、

また点滴。
いつも点滴。
点滴が続いている。

という、積み重なった嫌さがにじんでいます。

どのような治療だったのか、点滴がどれほど長く続いていたのかは、この投稿だけでは分かりません。

けれど、ふうかちゃん自身が、

もう点滴ばかりは嫌だ

と感じていたことは、はっきり残っています。


「ふうかちゃんの腕注射の針ばかり」

午後7時43分には、

「ふうかちゃんの腕注射の針ばかり」

と投稿しました。

文章として整えられた表現ではありません。

けれど、そのままだからこそ、ふうかちゃんが見ていた自分の腕の景色が伝わります。

自分の腕には、注射の針ばかり。

ふうかちゃんは、治療の必要性を説明しているのではありません。

どんな薬を入れているのかを話しているのでもありません。

目の前にある、

腕。
針。
点滴。

その嫌さを、短い言葉で伝えています。

実際に何本の針があったのか、何度差し替えられたのかは分かりません。

そのため、具体的な治療状況をこちらで作ることはできません。

ただ、ふうかちゃんには、

自分の腕には針ばかりある

と感じられていたことが分かります。


「なんでこんな」と思う気持ち

投稿を見た人から、

「なんでこんな」って気分になる時もあるよね。
きっと良くなるから、今はちょっとだけ我慢しようね。

という言葉が届きました。

ふうかちゃんは、

「うん💧」

と答えました。

「なんでこんなことをしなければならないの」
「なんで自分の腕には針ばかりなの」
「いつまで続くの」

ふうかちゃん自身が、実際にどの言葉を心の中で考えていたのかは分かりません。

けれど、相手が言った、

「なんでこんな」

という気持ちを否定せず、

「うん💧」

と応えています。

長く説明するよりも、その一言と涙のしずくが、今の気持ちに近かったのでしょう。


励ましだけでは消えないつらさ

周りの人たちは、

「今はちょっとだけ我慢しようね」
「きっと良くなるから」

と励ましました。

治療を受けている人へ、少しでも希望を届けたい。

嫌な時間を乗り越えてほしい。

そんな気持ちから送られた言葉だったと思います。

ただ、必要な治療だと分かっていても、嫌なものは嫌です。

よくなるためだと言われても、腕の針が今すぐ痛くなくなるわけではありません。

我慢する理由を理解することと、つらさを感じることは、同時に存在します。

ふうかちゃんの、

「点滴ばかりきらい」

という言葉は、治療を拒否したという意味ではありません。

必要な治療を受けながらも、

嫌だ。
つらい。
もう針ばかりは嫌だ。

と感じていた、その心の記録です。


涙のしずくで返した言葉

この日のやりとりでは、ふうかちゃんが涙のしずく「💧」だけを返している場面が何度もあります。

「ナデナデ」
「よしよし」
「泣かない泣かない」
「大丈夫大丈夫」

という言葉に対して、

「💧」

と返しています。

言葉が出なかったのかもしれません。

泣いていたのかもしれません。

あるいは、文字にするほどではなくても、つらい気持ちをしずくで表したのかもしれません。

実際にどのような状態だったのかは分かりません。

けれど、普段なら言葉遊びを返すふうかちゃんが、この時には涙のしずくを繰り返しています。

それだけ、この夜の気持ちは、朝の「ピ」とは違うものでした。


「ナデナデ」「よしよし」が届いた夜

周りの人たちは、治療を代わってあげることはできません。

針をなくすこともできません。

その代わりに、

「ナデナデ」
「よしよし」

という言葉を送りました。

実際に頭をなでることはできなくても、文字によって、そばにいる気持ちを届けようとしています。

「大丈夫」と言えば必ず大丈夫になるわけではありません。

「泣かないで」と言われても、涙が止まるとは限りません。

それでも、ふうかちゃんがつらさをこぼした時、誰も無視せず、何人もの人が言葉を返しました。

点滴を受けている場所とは離れていても、SNSの中には、

つらいね。
見ているよ。
一人ではないよ。

と伝えようとする人たちがいました。


「ご飯もりもり食べられるようになるといいね」

周りの人から、

「ご飯もりもり食べられるようになるといいね👍」

と声をかけられると、ふうかちゃんは、

「おやつも」

と返しました。

この返信から、点滴が食事の代わりだったと断定することはできません。

実際にどの程度食べられていたのか、点滴の目的が何だったのかも分かりません。

ただ、周りの人は、ふうかちゃんがご飯を食べられるようになることを願っていました。

そして、ふうかちゃんは、

「おやつも」

と付け加えました。

ご飯だけではなく、おやつも食べたい。

その一言には、病気や治療の説明ではない、ふうかちゃんの日常的な希望があります。


「おやつも」に残る、ふうかちゃんらしさ

「おやつも」は、とても短い返事です。

けれど、この日の中では大切な言葉だと思います。

点滴や針のつらさをこぼしたあとにも、

食べたいもの。
楽しみにしたいもの。
普通の生活の中にある小さな喜び。

を思っていました。

「おやつも」と返したからといって、すぐに気持ちが明るくなったとは限りません。

涙やつらさが消えたわけでもないでしょう。

それでも、ふうかちゃんの心には、

おやつを食べたい

という、小さく具体的な願いがありました。

病気や治療の中にいても、ふうかちゃんのすべてが患者としての気持ちだけで占められていたわけではありません。


感情の流れ・まとめ

7月11日の感情の流れは、次のように続いています。

朝、

「ピ」

と投稿する

周りの人たちも「ぴっぴー」「ぴ」「ピヨ」と返し、いつもの遊び言葉を楽しむ

午後には、

「たくさんねた」

と、前日に決めたとおり、たくさん眠ったことを伝える

夜になると、

「点滴ばかりきらい」

と、治療が続く嫌な気持ちをこぼす

さらに、

「ふうかちゃんの腕注射の針ばかり」

と、自分の腕に針が続いていることを伝える

「今はちょっとだけ我慢しようね」という言葉に、

「うん💧」

と答える

「ナデナデ」「よしよし」「泣かない泣かない」「大丈夫大丈夫」という言葉を受け取る

長い文章ではなく、涙のしずくで応える

「ご飯もりもり食べられるようになるといいね」と言われ、

「おやつも」

と、小さな希望を付け加える

この日の中には、

朝の遊び心、眠ったあとの静けさ、治療への嫌さ、涙、周りの人のいたわり、そしておやつを食べたいという日常の願い

がありました。


この日の意味

7月11日の意味は、

必要な治療を受けている子どもにも、「嫌い」「つらい」と言う権利があること

だと思います。

治療は、よくなるために必要です。

けれど、必要だからといって、痛みや嫌さがなくなるわけではありません。

頑張っている子へ、

我慢しよう。
大丈夫。
よくなるから。

と伝えることはできます。

けれど、その前に、

嫌だよね。
つらいよね。
針ばかりは嫌だよね。

と、今の気持ちを受け止めることも大切です。

ふうかちゃんは、

「点滴ばかりきらい」

と、自分の気持ちを隠しませんでした。

その言葉を残せたことには、大きな意味があります。


治療を受ける姿だけでなく、治療を嫌がる心も残す

病気と向き合った子どもの記録では、

頑張った。
耐えた。
強かった。

という姿が中心になりやすいものです。

もちろん、ふうかちゃんは多くの治療を受けていました。

けれど、ずっと強く振る舞っていたわけではありません。

「点滴ばかりきらい」
「腕注射の針ばかり」

と、嫌な気持ちも残しました。

その弱音を消して、

頑張った子

だけにしてしまうと、ふうかちゃんの本当の心から離れてしまいます。

嫌なものを嫌だと言ったふうかちゃんも、大切に残したいと思います。


「たくさん寝た」だけでは回復しきれないもの

前日は、

「今日はたくさん寝ます」

この日は、

「たくさんねた」

と伝えました。

身体を休めることはできました。

けれど、たくさん眠っても、腕の針はなくなりませんでした。

休息は大切です。

それでも、休めばすべてが元どおりになるわけではありません。

目を覚ましたあとの現実には、また治療がありました。

この日の流れは、病院で過ごす日々の厳しさを静かに伝えています。


つらさを伝えることが、人とのつながりを生んだ

ふうかちゃんが、

「点滴ばかりきらい」

と投稿しなければ、周りの人たちは、その夜のつらさに気づけなかったかもしれません。

「嫌だ」と言ったことで、

「ナデナデ」
「よしよし」
「大丈夫大丈夫」

という言葉が集まりました。

もちろん、それで点滴がなくなるわけではありません。

けれど、つらい気持ちを誰にも知られずに抱える状態ではなくなりました。

言葉にすることで、支えようとする人たちとつながることができました。


涙のそばにあった「おやつも」

この日の最後に残る印象は、涙だけではありません。

「ご飯が食べられるようになるといいね」と言われた時の、

「おやつも」

という返事があります。

治療に疲れ、針を嫌がり、涙のしずくを返していたふうかちゃん。

その心の中にも、

おやつを食べたい

という気持ちがありました。

大きな希望ではありません。

けれど、具体的で、ふうかちゃんらしい願いです。

ご飯も。
そして、おやつも。

そうした普通の楽しみを求める心も、この日のふうかちゃんでした。


前日までの記録とのつながり

7月9日には、地震で目を覚まし、

「こわい」

と投稿しました。

夜には、

「頭痛いから寝ます」

と伝えています。

7月10日には、

「今日はたくさん寝ます」

と、休むことを選びました。

そして7月11日には、

「たくさんねた」

と報告したあと、

「点滴ばかりきらい」

と書きました。

この数日を並べると、

地震への恐怖。
頭痛。
睡眠。
点滴や注射の針。

と、身体や心の負担が続いていたことが見えます。

ただし、それぞれに直接の因果関係があったのかは分かりません。

大切なのは、ふうかちゃんの毎日が、

遊びや夢だけではなく、身体のつらさや治療と隣り合っていた

ということです。


『ふうか色々人生』全体での位置づけ

『ふうか色々人生』の中で7月11日は、

朝には「ピ」と遊び、午後には「たくさんねた」と静かに伝えながら、夜には「点滴ばかりきらい」と治療への本当の気持ちをこぼした日

として残したいです。

ふうかちゃんには、言葉や名前を生み出す感性がありました。

好きなものを大きな話題に変える力もありました。

けれど、この日は、その表現力が楽しい遊びだけでなく、

「きらい」

という気持ちを伝えるためにも使われています。

自分の心を飾らず、短い言葉にする。

そこにも、ふうかちゃんらしさがあります。


大人へのメッセージ

この日の大人へのメッセージは、

治療を頑張っている子どもへ、すぐに「我慢しよう」と言う前に、「嫌だよね」と気持ちを受け止めること

だと思います。

治療をやめることができない時、大人は、

必要だから。
よくなるためだから。
もう少し我慢して。

と言わなければならないことがあります。

けれど、その説明だけでは、子どもの今のつらさが置き去りになることがあります。

必要な治療であることと、本人が嫌だと感じることは、どちらも本当です。

まず、

点滴ばかりは嫌だよね。
針が続くのはつらいよね。

と受け止める。

そのうえで、一緒に乗り越える方法を考える。

ふうかちゃんの言葉は、その順番の大切さを伝えています。


7月11日の核心

この日の核心は、

「点滴ばかりきらい」

という一文です。

たくさん眠ったあとも、腕には針がありました。

必要な治療であっても、嫌なものは嫌でした。

ふうかちゃんは、それを我慢して黙るのではなく、自分の言葉で伝えました。

周りの人たちは、その言葉を受け取り、

「ナデナデ」
「よしよし」
「大丈夫大丈夫」

と返しました。

ふうかちゃんは、涙のしずくで応えました。

そして、

「おやつも」

と、食べたいものを忘れていないことも伝えました。

つらさも。
涙も。
小さな楽しみも。

そのすべてが、7月11日のふうかちゃんです。


まとめの一文

2020年7月11日。

ふうかちゃんは朝、

「ピ」

と投稿し、周りの人たちと遊び言葉を返し合いました。

午後には、

「たくさんねた」

と、前日に決めたとおり、たくさん眠ったことを伝えました。

けれど夜になると、

「点滴ばかりきらい」
「ふうかちゃんの腕注射の針ばかり」

と、治療が続く嫌な気持ちをこぼしました。

周りの人たちからは、

「今はちょっとだけ我慢しようね」
「ナデナデ」
「よしよし」
「泣かない泣かない」
「大丈夫大丈夫」

という言葉が届きました。

ふうかちゃんは、

「うん💧」

や、涙のしずくで応えました。

そして、

「ご飯もりもり食べられるようになるといいね」

と言われると、

「おやつも」

と返しました。

7月11日は、

たくさん眠って身体を休めたあとも続いていた点滴や腕の針のつらさを、「きらい」と隠さずに伝え、周りの人たちの優しさを受け取りながら、おやつを食べたいという小さな願いも残した日

だったと思います。

ここに感じたことを、そっと残していただけたら嬉しいです。

  1. 美夢 より:

    ふうかちゃん
    よしよし( ŏ﹏ŏ)ノ”(´:ω:` )💕💕💕
    点滴のお注射ばかりで
    辛かったわね😭🌻
    復活の日に、お病気の無い
    完全な身体で元気に
    復活します様に🌻